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下諏訪小学校石屋根 |
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霧ヶ峰 |
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鉄平石は歴史を遡ると、平石と呼ばれ古くは武家屋敷の屋根材として使われていました。その後も諏訪地方では、住宅や繭蔵の屋根材や漬物石、庭の飛び石などとして、相当量が使用されていました。
明治11年に東京に日本初の電灯が灯り、電力が急速に全国へ普及していった時に、電力ケーブルが地下へ埋設され、そのケーブルの保護材として角土管が使われ、強度が求められる蓋部に鉄平石が用いられるようになりました。
その後、建築家の中条精一郎氏らとの交流から鉄平石の用途が広がりました。建築の装飾という用途を拓き鉄平石をモダンな洋館などの装飾材料として使うようになりました。
大正9年(1920)11月、明治神宮の参道に沿った側溝の底面と両側面の三面に鉄平石が使われています。80年余りを経た今も鉄平石の側溝は寸分の狂いもなく、施工当時のままの姿を保っています。
昭和4年頃から、個人住宅の装飾という分野で需要を獲得していきました。しかし、石貼り職人の高齢化が進み、技術不足が進んできた為、昭和59年(1984)に小振りの乱形の鉄平石をミキサーにかけて角を丸く削った「霧ヶ峰」を製造、販売しました。全体に柔らか味のある、ソフト感がお客様に好まれています。目地(石と石の間)を合わせやすいので、石貼り職人でなくタイル貼りを専門とする職人でも容易に貼ることができます。
近年、鉄平石は一般住宅よりも公園などの公共施設に環境資材として使われる機会が増えてきました。 |
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北九州市立松本清張記念館 平成10年(1998)施工
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里山の蔵 平成10年(1998)施工
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松本美術館 平成14年(2002)施工 |
明治38年(1905) |
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合資会社藤森鉄平石商会創業
藤森権之助 無限責任社員 |
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1代目社長 藤森権之助 |
明治39年ころ
創業当時の福沢鉱区の
現場事務所 |
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大正 9年(1920) |
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明治神宮参道側溝底面、両側面施工 |
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大正7年(1918)
明治神宮 参道両側の
側溝志施工 |
大正8年(1919)
日本橋に完成した
白木屋呉服店 |
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昭和 4年(1929) |
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東京都文京区春日町に東京支店設立 |
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昭和初期
福沢山のストックの一部 |
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昭和5年(1930)
藤森鉄平石本社 |
昭和13年(1938) 6月19日。
福沢山への来客を
案内する権之助 |
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昭和45年(1970) |
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藤森安春会長就任
藤森吉三社長就任 |
平成10年(1998) |
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福岡県北九州市 松本清張記念館施工 |
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松本清張記念館施工 |
平成10年(1998)10月17日
山の神の祠を囲む四方に御柱を建てたあとの福沢山事務所 |
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里山の蔵施工 |
松本美術館施工 |
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平成13年(2001) |
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藤森吉三会長就任
藤森慶一社長就任 |
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藤森鉄平石株式会社 創業100周年記念誌
藤森鉄平石株式会社100年のあゆみ
素を磨き、用を拓く (A4版 56ページ) |
販売価格1500円(税別) 送料250円
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